みちのくアート巡礼キャンプ2015(1)8/2, 8/3 喜多方

2015年08月17日

いよいよ2015年8月2日から、「みちのくアート巡礼キャンプ」がスタートしました。

このプログラムは、
① 東北を知る、巡る
② 東北から問いを立てる
③ それを自分の表現や企画へと発展させる
ことを主眼とし、震災がもたらした亀裂や揺らぎをまだ見ぬ表現へと繋ぐ試みとして、芸術公社が企画したものです。

対象は、東北での活動を志す11名のアーティストや企画者たち。講師陣による対話形式のワークショップ、個人でのリサーチ、芸術家・実作者との意見交換などを行う中でそれぞれが「みちのく」から問いを立て、それに対する「巡礼」の身振りを「アート」を通じて実現していく方法を1ヶ月かけて探ります。

まずは8月2日(日)〜6日(木)の5日間、福島県の喜多方と二本松で合宿を行い、東北と深い関わりを築いてきた民俗学者、宗教者、社会学者、芸術家などの方々のレクチャーとディスカッションを通じて、東北を眼差す多角的な視点を養いました。

最初のワークショップ開催地である喜多方に集まった参加者は、22歳から45歳の男女11名。現代美術家、演出家、舞台制作、編集者、ノンフィクション作家と、活動内容も多様なら、出身地や活動拠点もさまざま。今回初めて東北に足を踏み入れたという人から、震災で被災したという人まで、東北との関わりの濃度も異なります。

ワークショップは、民俗学者であり福島県立博物館館長を務める赤坂憲雄氏のレクチャーからスタート。「みちのくアート巡礼」という言葉の発案者である赤坂氏に、「みちのく」「アート」「巡礼」それぞれの言葉についての考えを伺い、ディスカッションを行いました。

—ワークショップ・メモ―
赤坂氏はこれまで東北のことを語る際に「みちのく」という言葉を使ったことはあまりなかったそうですが、震災をきっかけに使ってみようと思った、と「みちのく」という言葉に込めた思いを語りました。
東北地方を表す表現はたくさんありますが、「みちのく=道の奥=道が尽きたその向こうに広がる世界」という言葉も「都から見て東北の方角」という視点を持つ「東北」という言葉も、東北に住む人々が自分たちのために使った言葉ではなく、他者から名指された言葉です。赤坂氏は、常に外から見られる存在として侵略され続けて来た苦い歴史を持つ東北のことを、震災後あえて「みちのく」と呼んだり「まだ植民地だったのか」と挑発したりすることで、何とかこれ以上悲惨な状態にならないようにと働きかけてきました。町の人と復興にむけた取り組みに奔走しながら、あらゆる媒体に言葉を発表し続けている氏ですが、書き続けても書き続けても肩すかしをくらったような敗北感を味わうことがあると告白してくれた姿が印象的でした。

また、赤坂氏が「巡礼」という言葉に出会い直したのは、福島在住で被災した友人夫婦が、西へ避難するとき無意識にたどった道が中世からの巡礼の道だったことに気づいたときだそうです。赤坂氏自身も、民俗学者としてやるべきかもしれないと思いつつできなかった被災者への聞き込みや記録写真の撮影の代わりに、道端に手向けられた花に手を合わせ写真に撮るということだけを気づけば続けていて、「これが巡礼なのだ」と自分の行為に納得したと言います。

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レクチャーのあとのディスカッションでは、受講生からのさまざまな質問をもとにさらに議論を重ねました。アートに期待しているものは何かという問いに対して赤坂氏は、万博開催当時「国策に乗っかった」と酷評された岡本太郎の太陽の塔を例に出し、とんでもないことを仕掛けて10年後に爆発させるというようなことをやっても良いのではないか、と話しました。自然や国家など、圧倒的な力に対し勝ち目がなくとも、「負けない戦い」はできるかもしれない。その力がアートにはあると信じている。赤坂氏の静かな説得力を持った言葉は、受講生がそれぞれの決意に向き合うきっかけとなったように感じます。

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2日目の8月3日には、赤坂氏に加え社会学者の山内明美氏をお迎えし、ワークショップを行いました。歴史社会学を専門とする山内明美氏は、近代日本の米(こめ)に関する歴史と心性を「The Rice Nationalism」と表現し、そこから単なる地図上の地域でない広義の《東北》を研究しています。

—ワークショップ・メモ―
南三陸町生まれの山内氏自身も小学生の頃から田んぼを耕していたそうですが、もともと亜熱帯の作物である稲作を北国でやるのは並大抵のことではないはずです。政策に従い畑だった場所をほとんど田んぼに変えてきたのに、東北の人にはその苦労の記憶が無い。侵略と殺戮に苦しんだ過去は、沖縄や北海道など明確に国内植民地であった場所に比べ、記憶が断絶され、自分たちが制服した側なのかされた側なのかすらよくわからぬまま、歴史が接ぎ木されてしまっている。「まつろわぬもの」(奉ろわぬもの)から「まつろうもの」(服従する者)になっていった歴史の細かいグラデーションを「植民地」としてまるめこむわけにいかない、と山内氏は語ります。それはワークショップ1日目の赤坂氏の東北論に対する真摯な応答でもありました。

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また、山内氏は、南三陸にある板碑の写真を紹介。1724年に立てられたとされるそれには「ここにある(人間、自然を含む)すべてのものを鹿踊りで供養する」という意味の文字が書かれています。死者供養のため墓の前で踊る「鹿踊り」は、東北にしかない鎮魂の踊りで、この板碑もおそらく1722年にその地域で起きた凶作に伴う村人の大量餓死を悔やんで踊られたのではないかということです。

その鹿踊りを、自身の創作テーマでもあった「銀河」やアニミズムの精神と結びつけたのが宮沢賢治です。山内氏は、必ずしも自身が体験していない自然災害、犠牲、鎮魂について、自身の想像力でどう表現として応答していくか、という問いへの一つの回答として、宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』と『鹿踊りのはじまり』を紹介してくれました。自分が経験した/していないに関わらず他者の痛みに思いを馳せ、その思いを表現に発展させながら鎮魂につなげようとする行為の難しさは、ワークショップの受講生はもちろん、すべての芸術家、表現者が震災後に直面した問題でしょう。
アートで供養というものが行われようとすると、宗教的な要素を排除して、魂が抜かれたニュートラルなオブジェのようなもので表現される場合がある。そういうものではない方法を是非編み出してもらえれば、と語る山内氏は、単なるモニュメント制作ではない表現のヒントになりそうなキーワードをたくさん投げかけてくれました。

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この日、山内氏のレクチャーのあとは赤坂・山内両氏を囲み、これまでにお二人にお話いただいた内容やそれぞれの興味から、気になる言葉や質問を投げかけ合い、ディスカッションを続けました。「植民地」「鹿踊り」「草木成仏」「断絶された歴史」「東北と中央は地続きである」「過去と未来をつなぐ」「第二の近代」など、東北の歴史をとりまくさまざまな言葉に刺激をうけた受講生は、自身の表現につなげていくため、熱心に議論を展開していました。

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喜多方滞在の2日間は幸運にも町の年に一度の夏祭りの日。ワークショップ後は町の人の案内でそろって神社に出かけ、赤提灯を幾重にもぶら下げた大きな山車が町内の数だけずらっと整列して町を練り歩く様や、その周りでお互い競うようにして響かせ合う太鼓と笛の音に圧倒されながら、楽しい夜を過ごしました。

喜多方滞在中、素晴らしい状態で保存された古民家を宿泊場所として提供してくださった近さんご一家、町を丁寧に案内してくださった蛭川さん、レクチャー後の宴会にも同席してそこでも刺激的なお話をたくさんしてくださった赤坂、山内両氏、本当にどうもありがとうございました。

(田村かのこ)