3日目の朝、バスに乗り込み、一路北へ。写真家・志賀理江子氏のアトリエがある、美里町を目指します。
志賀氏のアトリエは、かつてパチンコ店が営業していた店舗をまるごと改装したもの。高い天井とプリントされた無数の作品が貼られた白い壁に囲まれた中で、どうしてこのようなアトリエを構えたのかという解説を最初にしていただきました。
レクチャーの本編では、自分が1980年代日本の新興住宅地で生まれ育ったことによって抱えた違和感、それを解消するためにスポーツや躍りなどで身体をひたすら動かしていたという子ども時代を経て、写真との出会いについて「最初のカメラは、撮影が簡単な『写ルンです』。写真にはすごく暴力的な部分と、対象に触らずしてイメージを手に入れられるというスピリチュアルな部分がある。思い通りにならない思春期に、そういう写真といったものに出会ったんです」と語りました。
そして、話題は次第に宮城県名取市北釜地区で制作された『螺旋海岸』へ。写真の中の世界とつながるために、撮りたい場所に住むことを考えつき、そこから北釜というコミュニティとの関わりを持っていったこと。関係が築かれたことで、おじいさんやおばあさんが自身の半生を語ってくれ、北釜と自分自身がクロスする地点がどんどん深くなっていき、行動で答えないといけないと思ったこと……。
北釜住民の方たちとの共同作品だと思っている、と語る『螺旋海岸』創作のあらましと、震災にまつわるいくつかのハードな事実。スタジオの空間に志賀氏の言葉が響き、聞き入る全員の身体の中でそれらが静かに反響しているようでした。
この現代社会では、「アーティスト自身がインディペンデントなメディアになることが重要」との言葉でレクチャーは締めくくられ、その後の質疑応答では、「定住する場所を持ったことで制作スタイルが変化したことに抵抗感はあったか」「撮影するときに恐怖は感じるのか」など、熱気を帯びた質問に対して、強度のある応答が聞かれました。
志賀氏おすすめの食堂でおいしいご飯を食べたあとは、社会学者、大正大学准教授の山内明美さんと合流。車窓の外に広がる一面のまぶしい緑の田んぼ、この風景はどうしてこのように成立しているのか、解説を交えながら南三陸町へとバスは向かいます。
到着後、実際に津波の高さはどれくらいだったのか知ってほしいと、廃校になった戸倉中学校まで山内氏に案内していただき、その付近の水戸辺集落では鹿踊りの石碑についての解説が行われました。また、その場に偶然居合わせた地元住民の方のご好意で、震災時の話を聞かせていただく場面も。
三陸の空気を感じたあとは、本日の宿「さんさん館」へと向かいます。廃校となった小学校の木造校舎をリノベーションした、レトロな雰囲気の漂う宿泊施設です。
夕食後、山内氏によるレクチャーでは、歴史社会学の観点から東北の米を巡る言説空間について学びました。「鹿踊り」「草木国土悉皆成仏」「三陸世界」といったキーワードや石牟礼道子『苦海浄土』、不知火の漁師・緒方正人の言葉をつなげていきながら、近代的な論理からかけ離れた世界=三陸世界を語ることの難しさ、近代的な価値観ではとらえられない余白をいかにして理解していくかという問題提起がなされました。
三陸世界の真ん中で、三陸世界を語ることの難しさを突きつけられた参加者たちは、これまでのレクチャーで受け取ったことや自身の出自などと絡めながら、各々の問いを発していました。